如来(にょらい)は、修行が完成して悟りの境地に入った状態を表しています。お寺の本尊クラスとしてまつられることも多いです。薄い衣を1枚だけ着ている質素な姿で、ほとんど何も持っていないのが定番。頭が螺髪(らほつ)という巻き毛のかたまりで覆われていて、頭のまん中が盛り上がっている(肉髻・にっけい)というのも特徴です。
毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)
「光明で照らす仏」とかいった意味で、「世界の中心」「世界の存在そのもの」という位置づけの仏様。盧遮那仏(るしゃなぶつ)とも呼ばれます。聞きなれない名前の仏様ですが、奈良でいちばん有名な仏像・東大寺の大仏は、この毘盧遮那仏です。ただ、見た目では特にほかの如来と区別できません。
釈迦如来(しゃかにょらい)
いわゆる「お釈迦さま」。歴史上に実在した唯一の仏、といわれたりします。もともとは、仏といえば釈迦如来のことだったんでしょうが、その後たくさんの仏様ができた(?)結果、仏の中の1つ、という位置付けになっているようです。
単体でまつられるほか、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)・普賢菩薩(ふげんぼさつ)とセットで「釈迦三尊像」としてまつられたりします。ドッシリと座っておなかの前で両手を重ね、親指同士をつけている姿が定番ですが、生まれてすぐ「天上天下唯我独尊」と言って天と地を指さした、というエピソードを表した「誕生仏」も、4月8日のお釈迦様の誕生日「花祭り」に見かけます。
奈良市街エリアの主要なお寺には、釈迦如来を本尊にしたところはなさそうです。ただ、どこも花祭り用の誕生仏は持っているようで、1年に1度だけ見られます。
薬師如来
生きている我々に対していろいろなご利益を与えてくれる、「現世利益(げんせりやく)」の仏様。正式には薬師瑠璃光(るりこう)如来といって、はるか東にあるという「東方浄瑠璃世界(とうほうじょうるりせかい)」というところに住んでいるとか。「薬」の名のとおり、病気から救ってくれるほか、苦しみや飢えから救ってくれたり、悟りに導いてくれたり、いろいろなご利益があります。
如来にはめずらしく、手に薬の壺を持っていたりします。単体でまつられていることも多いですが、日光菩薩・月光(がっこう)菩薩とセットで「薬師三尊像」なことも多いです。また、十二神将(じゅうにしんしょう)という12人の「ガードマン」に守られていることもあります。
新薬師寺は、その名のとおり薬師如来が本尊。まわりを十二神将がぐるっと囲んでいて、こっちのほうが有名だったりします。興福寺には、東金堂に薬師三尊像がまつられているほか、国宝館の目玉の1つ、銅造仏頭(旧山田寺仏頭)も薬師如来の頭だとか。
阿弥陀如来
いちばん多くまつられている如来じゃないでしょうか。身近な仏様、という感じがします。薬師如来と反対に、極楽浄土へ導いてくれる「来世利益(らいせりやく)」の仏様です。住んでいるところも、薬師如来と反対の西にあるという西方極楽浄土。
阿弥陀如来も、単体の場合と、観音菩薩・勢至(せいし)菩薩とのセットで「阿弥陀三尊像」の場合があります。座っている「坐像」と立っている「立像(りゅうぞう)」があって、坐像の場合、釈迦如来ととてもよく似ています。
奈良でも、浄土宗や浄土真宗のお寺では必ずといっていいほど本尊ですが、観光スポットでは少なめ。元興寺(極楽坊)の宝物殿や、興福寺国宝館、あと年2回だけの公開ですが、東大寺の俊乗堂(しゅんじょうどう)でそれぞれ重要文化財の阿弥陀如来像を見られます。
大日如来
真言宗でいちばん重要な仏とされています。文字通り太陽を表す仏様で、光ですべてのものをもれなく照らしてくれる、と言われます。そうすると毘盧遮那仏と同じような感じですが、実際、毘盧遮那仏と同一とされることもあるようです。ご利益も抽象的だし、あまり身近な仏様とはいえない感じですね。奈良公園周辺ではまず見かけません。