興福寺の歴史をひも解くと、必ず出てくるのが僧兵。かなり幅を利かせていたようで、知っておくと、奈良の歴史を勉強するときはもちろん、伝統行事を楽しむにも役立ちます。
僧兵とは
僧兵とは、僧侶などお寺の関係者が武装したもの。簡単にいうと「武器を持ったお坊さん」です。その歴史は平安時代に奈良や京都ではじまって、だんだん全国に広がっていって、戦国時代まで続いたとか。
そもそも、なんでお坊さんが武装することになったかというと、平安時代になって、お寺が自分の領地を持つようになったことと関係しています。歴史の授業で習った「荘園(しょうえん)」です。財産を持つと、盗賊や国の機関、他の地主などから自力でそれを守らなきゃいけないようになるわけです。
法皇も困らせた「南都北嶺」
僧兵がいたことで有名なお寺は全国にたくさんありますが、特に有名なのが奈良の興福寺・東大寺、京都の延暦寺、滋賀の三井寺など。中でも、興福寺と延暦寺は「南都北嶺(なんとほくれい)」と呼ばれて恐れられました。白河法皇が言ったという、「賀茂川の水、双六の賽、山法師、是ぞ朕が心に随わぬ者」という有名な言葉がありますが、「山法師」というのは比叡山の僧兵のこと。平安朝の頂点にいる法皇でもどうにもできないというんですから、相当なものだったんでしょう。
奈良の「支配者」から「文化」へ
興福寺は、大和国(=奈良県)の荘園をほとんど全部持っていて、大和国を支配していたとか。何か不満があると、すぐに僧兵が春日大社のご神木をかついで京都の朝廷に直訴して、困らせていたようです。興福寺の僧兵のおかげで奈良が守られた部分もあるでしょうけど、そのせいで争いに巻き込まれることもたびたび。平安末期の「平重衡の南都焼討」では、奈良の主要なお寺はみんな焼けてしまいました。
どちらかというと「困りもの」だった僧兵ですが、あまりにも影響が大きかったこともあって、「文化」になってしまったところがあります。若草山焼きや聖武天皇祭、興福寺の薪御能など、僧兵が登場するイベントもしばしば。良し悪しはともかく、奈良の歴史には欠かせない存在のようですね。